海のレジンアーティストとして活動する1児のママ・豊西史子さんに話を聞きました!

ママの起業ストーリーをご紹介

マルシェやネットショップで海のレジンアートを販売している豊西さんにお話をおうかがいしました。

豊西さんには、2歳半の子どもがおり、保育園に預けずに活動をされています。お子さんが傍にいるにもかかわらず、マルシェの売上高は○万円あるとか!?

  • 海のレジンアートが産まれたストーリー
  • 2歳のお子さんがいる中、作業時間をどうされているのか
  • 初のグループ展覧会をどうやって開催したのか
  • 豊西さんのアートを買う人は誰?!思わぬ需要を発見!
  • マルシェでどのくらい売れたのか
  • 豊西さんが考えるマルシェの秘訣

などについて、お話をお聞きしました★

はい。私はレジンで海を描いています。

沖縄の海とかハワイの海を表現しましたとか、そういう感じではなくって。どちらかというと海を見て、感じて、その海を表現するとか、海じゃなくても、落ち込んでしまったとか、喜びがあるとか、そういう心の面を海で表現してるっていうふうに自分では思っています。

そうですね。自分の心じゃなくても、例えば「家に帰った時に『お帰り』ってすごい包み込んでくれるような絵を描きたいな」って思ったら、そういう風なことをイメージして、海を描きます。私がかけるのが「レジンで海」だけなんで。

「海って美しさもあるけど、飲み込まれるような怖さがあるよな」と思ったら、それをイメージして(描きます)。そういう感じで海をレジンで表現して、絵を描いているんです。

あとは、最近はマルシェとかイベントに出るので、キーホルダーを作ったりとか、そんなこともしてます。

マルシェに参加して、1枚の絵が〇万円で売れた!

今年からマルシェに出始めて、(数万円で絵がうれたのは)3回目ですね。

その後、2回参加しているので、全部で5回でたことになります。

その前先週の土日に参加した時も、一個大きい作品が売れたんですよ。

数万円の作品を、かっこいい男性の方が来て、買ってくださいました。

マルシェを知ったのは、検索ではなくて紹介

いえ、友達の紹介で出させてもらいました。

そうですね。(マルシェは)私が一人で出すんじゃなくて、2〜3人で一緒に出店してます。一人はレジンの雑貨作ってる子で、もう一人はアロマやスパイス、チャイやクラフトコーラを売ってる子です。

そのメンバーの交友関係から、イベントを紹介してくれました。

はい、思いました。

看護師も不妊治療も、全てを辞めて思いついたのが「海のレジン」でした

全然ですね。もうバリバリの正社員脳で、大学卒業して就職するつもりでした。

就職先決まって内定をもらったし、その時付き合ってた彼氏と結婚しようと思ってたけど、でもそれ(内定をもらったことを彼氏に)言ったら「そんな全国転勤あるところに俺ついて行かれへんからやめえや」って言われて、(内定を)蹴ったんですよ。

その後、もちろんその人とは別れて(笑)

(その出来事からも)いろんな学びをさせてもらって、その後、スターバックスでフリーターをしてたんですよ。

すごい楽しかった。サービスが好きだと思った。けど、「ずっとこのままじゃお金的に生きていかれへん」とも思って。

かけ持ちもしてたので、月20万ぐらいはあったけど、ずっとこの生活はできひんなって思って。自分の時間を削ってやってるような感じやから。

で、どうしようかなと思った時に、母が看護師だったり、祖母が入院した時の看護師さんのサービスにすごい不満を覚えたんですよ。

例えば、私の<大事な>おばあちゃんに対して、すごい赤ちゃん言葉みたいな言葉を使って、どんなやったかも忘れたんですけど、すっごい腹立ったんですよ。

それがすっごい嫌やって。私はアルバイトやけど、サービスに誇りを持ってやってたから、看護師のサービスを良くしたいな、ちょっと看護師になってみようかなって思ったんです。

はい。

25やったかな。25の年ぐらいから行って。

ほんで学校でも真面目やから、優秀な方なんですよ。座学はできるから、自分もこれで看護師なって「もうバリバリいけるわ」と思ったけど、やっぱり、座学で勉強できることと、実際に働いて生きる力を持てるって違うじゃないですか。

本当、テストだけできるタイプで。

(看護師になってから)5年働いたけど、すごい心もしんどくなって、仕事ができひんけど想いだけはあるし。

ちなみに、看護師になって2年目くらいで結婚して、不妊治療もしてたんですよ。

看護師時代に(不妊治療を)3~4年してて、夜勤もあるし、もう(看護師を)やめようと思って。

その後、「看護学校の先生ならへんか」って声をかけてもらったんで、看護学校の先生になったんです。

なったんですけど、やっぱり、それでも合わない人とか…。結構厳しく言われて、できないことが、モヤモヤしてきて…。そこが私の課題なんですけどね。

そうですね、結局、人間関係だと思います。

学校の先生をし始めて1年半ぐらいで、もう、毎日泣いてて。

「涙が止まらない」みたいな感じになって。病院で適応障害やなって言われて。

仕事ができひんし、不妊治療もしてるし、なんかもう(心の)バランスが無茶苦茶になったんだと思います。

で、もう辞めざるを得なくなって。

ドクターストップはかかってないんですけど、なんかもう気持ち的に「戻られへんな」って。

旦那も私も「正社員じゃないと、どうやって生活してんの?」「共働きじゃないと、みんなどうやって生活してんの」って感じのタイプだったんですけど、私がこんな状態になって支える形をとってくれました。

そう。(全部で)7年目ぐらいで体壊して、で。「もう辞めます」って言って辞めて。

でも、看護学校からは、ありがたいことに「授業だけでも来てくれへんか」って言われて。

それだけじゃ生活できないけど、その時は「もう正社員で働かれへん」っていうのがすごくあって…。

不妊治療も「もう辞めよう」と思って。自分の価値観を捨てたんですよ。捨てざるを得なかったというか。

不妊治療っていう考え方も、正社員じゃないと生きていかれへんという(価値観も)も、捨てようと思って。

やっと捨てれたんですよ。そしたら、パーって降りてきたのが、「海に関わって仕事したい」っていう考えでした。

「海をどうやって描くんだろう」みたいな感じから始まって、そこで『レジンで描く』っていうのにつながったんですよ。

(海とは無縁の)東大阪です(笑)

もともと好きなんですよ。島が好きで、大学の時にタイの離島にバックパッカーで行ったりとか(してました)。

『島』が好きやって、『海』が好きやって。

ちょっと前に行ったハワイで、海のレジンアートを見て、「どうやって描くんかな」って思ってたぐらいなんですよね。

そうですね。それが今につながるって感じですね。

どうやってレジンを学んだの?

まずYouTubeで調べて、自分でやってみて。

まぁ、やっぱ全然できひんくって。

仕事を辞めてて時間はあるから、毎日毎日やっとって、ひと月ぐらい経って、「これは人に習った方が早い」と思って。

インスタでちょうど「この人すごい専門的な知識持ってんな」みたいな感じの人に出会って、その人がちょっと気になってたレジンの協会にも所属していて。

けどまぁ、レジン協会入る前に、その人からちょっとご教授願おうと思って。私は師匠って呼んでるんですけど、その人に1日だけ教えてもらったんかな。

1回だけです。その後は質問や相談はできるみたいな感じです。

全然違います。

協会とか「怪しい」しかなかったです(笑)。「なんで協会入らなアカンねん」みたいな。

師匠は、海のレジアートもしてたし、他にもいろいろな作品がありました。もともとレジンを使ったお仕事をされてた人で、レジンについてすごい詳しい人やったんですよ。

その人みたいな作品をつくりたいって言うよりは、その人の知識が欲しいって感じでした。

レジンは「時間と湿度と温度がすごく大切」

2~3時間のレッスンを受けて、そのあとは、教えてもらったことを自分で何回も繰り返して、時間と湿度と温度がすごい関係するから、レジンの素材とかもいろいろ自分で試したりとか、師匠に聞いたりしてやっていって、上手になっていくって感じですね。

機械を使うのは<紫外線>で固まるuvレジンで、私が使ってるのは二液性のやつなんです。2つの液を混ぜたら、<化学反応>で24時間後ぐらいに固まるっていうレジンなんですよ。

二液性のレジンはいっぱい種類があります。

そうですね。種類もだし、あとは、粘度。とろみ具合も大事になってくるから、

「これぐらいのトロミで」とか(教えてもらいました)。

分からない!

やりだしたらハマるんですよ。

そんな高くなくて、1-2万円ぐらいだったと思います。

レジン協会にも入ったけれど

(怪しいとは思いつつ)その協会も気になってて。

協会に所属するために10万円いるんですけど。

「レジン使ってみよう」みたいな3日間のレッスンのがあって。それ習ったら認定講師になれるんですよ。

それで、次に協会に入りたい人に、私が認定講師として3日のレッスンをしたら、(生徒)一人当たり5万円入ってくると。

2人教えたら自分の元は取れるっていう話なんですよ。

「認定講師として教えていったら、経済的にも余裕になるんじゃないか」と思って、まあ、協会に入ったんですよ。

けど、教えてもらった3日間のやつが私的にはあまりヒットしなくて (笑)

師匠に教えてもらったやつの方がよっぽど面白くて。師匠も認定講師やから3日間のレッスンも師匠に教えてもらったけど、(3日間のレッスンじゃなくて)師匠のマンツーマンのレッスンだけで充分だったから。

それと、どっちかというと、私は自分の作品を作って見てもらって、作品を発表したり、誰かとコミュニケーションをとるほう方が楽しいから、まだ認定講師として一回も活動したことないんですよ(笑)

月に数百円かな。

協会の店が沖縄にあるから、沖縄に作品は買い取ってもらえるんですよ。

沖縄の協会のお店があって、そこはレジンアートをいっぱい置いてるんです。そこに認定講師となった人の作品を置いて販売してくれます。

いろんなお客さんが買ってくれるから、作品を納品できたらお金が入るって感じ。

違うんです。協会がね、買い取って、で、売ってくれるんですよ。(売れたらとかじゃなくて、作品を卸す時点で買い取ってくれるので)それがめちゃめちゃありがたいですね。

「まずは展示会で発表してみたい」という想いが実現

練習して、「売れたらいいな」ぐらい(の気持ちで最初はやっていました)。「展示会とかに発表してみたい」という気持ちになってきて。

そうそう。それで「売れたらいいなみたいな~」っていう感じになってきて、

同時に、メルカリとかでも出したりもしてたんですけど、「展示したら楽しいな」ってなって。

「したいな~」って思っていた時に、インスタグラムで勝手にフォローしてた好きなアーティストさんがおって、その人が「サーフショップ(Loco920*)で展示会します」って書いてて、「あ、行ける距離やし。行ってみよう」と思って行ったんです。

(フォローしてたアーティストさんは)wacchaさんっていう人だったんですけど、そこで初めて会って、wacchaさんが「今度一緒にやりましょうよ」みたいな感じで言ってくれまして。

サーフフショップ(Loco920*)の二階で、wacchaさんと、あともう1人、切り絵アーティストのfukudaさんと3人で展示会したのが初めて自分も在廊参加したグループ展でした。

それの少し前くらいに、東京の代官山でグループ展(arte de aco)を企画してる人たちがいて、その人から声かけてもらって。

はい、全部インスタ。インスタ経由で声をかけてもらって、その時は(東京なので)作品だけ送って(展示してもらいました)。

レジンを始めてから、展示会出展を叶えるまでの期間

海(のレジンというアイデア)が降りてきて、10ヶ月ぐらいですかね。

海のレジンを思いついた時に、すぐに妊娠もしたので、展示系してる時はずっと妊娠してて、展示会終わったら出産したみたいな。

全部捨てたらぜーんぶ入ってきた!!!

そうなです!(正社員じゃなきゃとか、子どもがおらなきゃ、とか、そういう価値観が)全部吹っ切れたら、全部降りてきたんです。ぜーんぶ、捨てたら全部入ってきた!

面白い。いやー。それはもうめちゃめちゃ人生の学びでした。捨てたら入ってくるんやって。

ずっと泣いてた時あるじゃないですか。泣いてた時は、「何々せなアカンとか」「トイレ行かなアカン」とか「電気けさなアカン」。とか、もうそんなんばっか言ってました。「お水飲まなアカン」とか。

「トイレ行きたい」「電気消したい」「お水飲みたい」って思えばいいのに、全部「せなアカン」みたいになっちゃってた。「稼がなアカン」とか「正社員で働かなアカン」「子どもおらなアカン」とか。

展示会で作品をみた営業マンから・・・?!

代官山の展示で、エノアルっていうアートの販売・レンタル会社の営業の方が目をつけてくれて、そこ(のサブスク)に卸すというか、送るようになったんですよ。

そうです。「代官山で拝見しました。アートのサブスクのサービス始めてるんですけど、作品を入れてくれませんか」みたいな感じで言ってくれたんです。

絵のサブスクをしている会社と契約してわかった隠れた需要

サブスクやから毎月1,000円とかで、私の絵を誰かが借りてくれたりとか、もしくは買い取りってくれる時もあります。

例えば1,000円でお客さんが借りるんやったら、何割かを会社が持っていって、何割かが私のとこに入るっていう感じです。

絵を買い取ってもらえた時は、例えば10万円のアートを売ってくれてはったら、そのうちの何割かが会社で入って、何割かが私に入るっていう感じですね。

そうです。会社、クリニックとか病院とかそっちの方が相性良かったみたいで。会社さんが買ってくれるっていうのが何回かありましたね。

産後どうした?夜に作ろうと思ったけれど…

それが出産前にやってて、出産してからは、半年ぐらいは、ちょっともうね、作られへん。

ほんで娘が1歳半超えたくらいからかな、ちょっと本格的に本腰入れてできるかなと思って。ちょこちょこやってる感じですね。

でも結局保育園にも入れてないから、全然できないんです。

夜やろうと思って、やったんですけど、(子どもが)起きるんですよ。

起きたら「お母ちゃーん」って呼ばれる。でも、レジンついた手で(子どもを)触りに行かれへん。

絶対寝てる時間はいつや?と思ったら、(夜中の)2時ぐらいなんですよ。

でも「毎日、深夜2時から出来るわけないやん」と思って。夜はやめて。朝も(子どもが)早く起きる時とかもあるから、「そわそわしながらでけへん!」と思って、朝もやめた

どうしようと思ったら、(子どもを)預けるしかなくて。親来てもらう時とか、旦那の休みの日とか。

そうですね。ただ、まあ、両親も東大阪から来てくれるから、週1いけるか、いかれへんか。

土日は、私だって遊びたいし(毎週していた訳ではない)。

結論を言うと、月に2~ 6回できてるぐらいですかね。

今は子どもと居る時間を大切にしたい

どっちかと言ったら子供と一緒にいたいから、幼稚園入るまでは(子どもと)一緒にいる時間を大事にしようと思って、あんまり本腰は入れてなくて。

(営業の人やレジン協会のお店から「在庫なくなりました」って)言われたら、作るみたいな感じですね。

だから、マルシェみたいに「売れるか売れへんかわからへん」ところのために、作るっていうのは、してなかったんですよ。

マルシェに5回出展してわかった「マルシェ道」

マルシェをやり始めたのが、今年入ってから(子どもが2歳)。

多分「収入としてこのままじゃ」と思ったり、(「卸して」って)言われたことだけやってるみたいな感じだったのでで、「自分が主体的に活動していきたいな」っていう気持ちがあったのかなぁ。

そうですね。今は「がんばろう」っていう価値観も捨ててるんですけど、レジンでやっていきたい気持ちもあって。

あとハワイがすごい好きなんですよ。だから、ハワイで自分の作品を置いてもらえたら嬉しいなとか、そんなぼんやりした夢があったりとか。

この後何で(仕事していこう)って考えた時に、「自分のアートで喜んでもらえて、それで対価としてお金もらえたら嬉しいな」っていう想いが、子供生まれてから、ぼやぼやぼやって、自分の中ででてきたもので。

マルシェとかやってみようかなって思い始めて時に、看護学校の友達でレジンの雑貨作り出してた人が「マルシェやりたいね」みたいな感じで言うとったんで。「ほんなら一緒に出してみようか」ってなったのが始まりです。

それが今年の(2024年)1月とかで。

minnneもcreemaもやっとったんですよ。けど、なんか(お客さんのことが)見えへんから。対面でもやってみたいっていう気持ちがうまれて。

1回目と2回目はね、閑古鳥が泣きました

(1回目に参加したマルシェは)家の近くのスーパーのマルシェやったんですけど、他の出店者も閑古鳥やな、みたいな感じのマルシェでした。

それで、「マルシェはマルシェで『マルシェ道』があるんや。『マルシェの学び』があるんや。『なんでもでたらいいんや』ってもんじゃない!っていうのが分かりました。」

2回目はちょうど同時期に申し込んでた堺市産業振興センターのところで出して。それは子供向けのマルシェやったから、あんまり売れずで。

3回目に、万博のマルシェに出したらめちゃくちゃ売れて。2日で6桁売れました。

それをやっと学べたんですよ。

その後、扇町公園のイベントに出てました。

それはそのレジン仲間の人から「ロハスパークっていうイベントも結構いいよ」って情報をもらって。

その時は、大きなアート作品は売れへんかったけど、5桁半ばくらい。

で、この前が、(天王寺の)テンシバのイベントで5桁後半でした。

今はまだ「マルシェ道を勉強中」みたいな感じですね。

いろいろあります。

そう。なんも知らなかった。

イベントにもよると思うんですよ。

マルシェで海のレジンを買ってくれるのはどんな人?

アートは、ちょうどお家に絵を探していたっていう方とか、会社やビルの経営をされてる人とかです。

小さいアートとかアクセとかキーホルダーは老若男女とわずお迎えいただけてます。

ちょっと収入について(改めて)お聞きしてもよいですか?

マルシェ出てからは、(最初の頃は売れなかったけど、最近は)1回参加で5桁(の売上げがあります)。多い時に6桁くらい。

沖縄のお店は、(作品が売れたらまた買ってくれて、卸すときに)5桁後半くらいかな。

サブスクのやつは、声かけてくれた営業さんがいなくなっちゃったので、今はやってなくて。やっていた時で、絵を買い取ってもらえた時は6桁とかでした。

現在の活動時間はどれくらい(子ども2歳半)

最近そのイベントが重なってたので、土日の3~4時間はレジンをして、平日も親に1日ぐらい来てもらって、3、 4時間ぐらいやるって感じですね。

1週間に12~13時間くらいですよね?

レジンを始めると、(レジンが)どんどん固まってくるから、やり始めて2時間ぐらいが限界なんですよ。準備とかも後片付けとか入れて(1回あたり)3時間ぐらい(しかできなくて)

マルシュの前とかやったら、細かい作業をするので、(もうちょっと作業時間が増えて)ちょっと寝不足みたいな感じでやってます。

人と関わりたくなかったけれど、いろいろな業種の人と関わるのがすごく楽しい!

今は将来の展望がまだぼやけてるからこそ、植山さん(インタビュアーの私)とのこういう関わりがすごい刺激的やなっていうのも本当に嬉しい。いろんな業種の人と関わるのすごい楽しいなと思うんですよ。

私は、人とか変わるのあんま好きじゃなかったんですよ。

よくある(起業とかについて書いてある)やつに、「やっぱり人間関係が大事とか、人との関わりが大事やで」みたいなのが、よく書いてるじゃないですか。そういうの見て嫌やなって思ってたタイプです。

でも、実際やってみたらめっちゃ面白いし、自分が興味ある人だけと関わればよいし、嫌な人とは繋がらなくてよいし。

「自分が興味ある人と楽しくやっていったらいい世界なんや」っていうのは、今のとこ感じてますね。

旦那さんの反対とかはなかったんです?

言葉としてはなかった。

最初の方にお伝えしたみたいに。「共働きじゃないと生きていかれへんのちゃうか」っていうような感じの人やったし。「『正社員にならへんのかな』って思ってたんちゃうかな」と思うんですけど。

言われてないです。(口では)「史子がしたいようにしたらいいよ」っていう風には言ってくれて。でも最初は「収入どうなん」みたいな感じのことは聞かれたかな。

けど、だんだん旦那もめちゃめちゃ変わってきたんですよ。

旦那もこうじゃないとアカンっていうような感じやったけど、「自営業の人ってこんな風に働いて楽しそう」やなと(思うようになったみたいで)。

すごい自分の知らない世界のことも、なんていうんだろう、柔軟性が広がったって感じですかね

そうですね。アートのこととか、関わってる人たちのこととか、スピリチュアル系のこととか、脳科学とか、自分が知見をいろいろ広めたことを言ってたら、すごく変わって。

今は絶対反対してないと思うし、見えない世界とか信じない人やったけど、今は柔軟に色んな世界のことに興味をもってくれています。

今後の展望について教えてください

マルシェにずっと出続けること自体が目標という訳じゃなくて。

自分の活動を通して、自分も楽しいし、家族も周りの人も、地球、宇宙(見えない世界)もみんなが喜びにあふれたらいいなっていうのが大きい目的にあるから。別にマルシェにこだわってるわけでは(ないかな)。

自分が出てるマルシェとかの活動が、いろいろ派生していったらいいなっていうのは、思います。

1個の夢はハワイに作品を展示したいのと、自分の活動を通して、自分もみんなも喜びにあふれるっていうのがあるけれど、そこの展望はまだぼやっとしてます。

目標としては、なんかぼんやり10万20万みたいな感じで思ってたんですよ。

でも、それはいけそうやなっていうのが、最近の手応えで感じている。

30とか100万とかあったらいいですけどね(笑)

アートを売るっていうだけじゃなくて、アートから繋がって何かできたらいいなって思います。

植山さんやってはるみたいに。なんかね、これまでの知識を持って、物がないものでも、自分で提供できたらいいなっていうのも思いますけど。

それもありますし、めっちゃぼやっとしてます。『色』の勉強なんかもしているので、そういうのも活かしつつ、自分の活動を通して、みんなの笑顔が増えたらいいなと思います。

明るく素敵な笑顔で語ってくださった豊西さん。

過去にそんな出来事があって、今の海のレジンが産まれたなんて、びっくりしました。

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